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大阪市西区九条とナインモール九条の歴史 History
歴史ある九条すみずみ知っとこマップ|大阪市西区九条とナインモール九条の歴史

大阪市西区に、一条も二条もないのに何故「九条」の地名が誕生したのか、歴史の謎をひも解いてみます。

古代縄文期の「九条」は、なにわの海の底で、上町台地を除いて陸地の面影はなかったのです。その後、淀川などが運んだ土砂が堆積して陸地化が進み、なにわ八十島と言われるほど多くの島々が大阪湾に誕生。その一つが九条島で、本格的に開発したのは、江戸初期の幕府役人・香西晳雲らと言われており、交友のあった儒学者・林羅山が「衢壌(くじょう)島」と命名。「衢」は「ちまた、賑やか」を意味し、「壌」は「土地」に通じ、賑やかな場所になるように願ってつけられたとのこと。その後、「九条」に変わったのは、諸説あるものの、「衢壌」が難しすぎるので簡単な字になったのが真相らしい。
九条は、元々賑わう町として造られ、江戸時代の「摂津名所図会」には、すでに茨住吉神社、竹林寺、九島院が描かれていました。太平洋戦争前は、「西の心斎橋」と呼ばれたほど賑わい、商店は勿論、映画館、寄席なども数多くあり、現在のナインモール商店街には百貨店も軒を連ねていました。
現在の九条新道交差点は、「花園橋」と呼ばれた時代があり、ここから大阪築港まで明治36年に大阪市電が運行された記念の地としての石碑が建てられています。かの、松下幸之助氏は、この大阪市電を眺めながら「これからは電気の時代!」と思いついたと、松下電器の社史にも記されています。
さらに、九条を含む川口近辺は、五代友厚が初代税関長を務めた大阪税関(川口運上所)があった所で、近代文化発祥の地として有名な「川口居留地」跡、さらに明治期の大阪府庁や大阪市庁が設置され大阪行政の中心地でもありました。
千代崎橋付近にあった「料亭いろは」
千代崎橋付近にあった「料亭いろは」
現ナインモール商店街
現ナインモール商店街
現千代崎のスーパー玉出付近「八千代座」
現千代崎のスーパー玉出付近「八千代座」
※ 参考資料(昭和30年発行・大阪市立西中学校 研究紀要)